勉強するということ

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最近、英語の勉強を始めてみた。今日で6日目だ。

 

勉強と言っても、毎日単語帳で中学レベルの英単語を覚えているだけである。

教材はアマゾンで高評価だった、1ヵ月で1000単語覚えられるという代物だ。

本当に1000単語も覚えられる気はしなかったが、いざ本を開いてみると、7割は意味が分かるようなレベルだったので、これはいける気がしている。(スペルを正確に書けなくても、まずは英語→日本語で意味がわかればいいらしい)

 

どうして唐突に英語の勉強をしようと思ったかといえば、これはやはり私の神たるHYDEさんの影響である。

彼のアメリカへの挑戦を、一度でいいからこの目で見てみたい。年内が難しくても、来年またソロで戦いに行くかもしれない。その時に「英語がまったくわからないから」という不安感が、この目で彼の挑戦を見たい欲の足かせになってはもったいないと思うのだ。

 

中学時代も高校時代も、私は英語が好きではなかった。

暗記科目がそもそも苦手だったのもあるが、日本に住んでいるのに、どうして外国の言葉をわざわざ覚えなければいけないのか。できないから能力が低い(テストで点が取れない)と評価されるのが嫌だというだけで、使わない、興味もないものを、ひたすら詰め込まなければいけないことに不快感を感じていた。

当時のモチベーションといえば、きれいに色分けしたノートを作っているときと、テスト用紙に高い点数がついて戻ってくる瞬間だけだった。知っている単語、理解できる英文が増えていくことに、数学や物理のようなワクワク感は感じられなかった。

 

それがどうだろう。

30目前にして、中学生レベルの英単語の意味が分かるようになるのがちょっとうれしい。HYDEさんのアメリカツアーに行くという自分の目標に近づいている実感があるし、そんな心のゆとりからか、純粋に「知っている単語が増えるのが面白い」と感じられるのだ。

 

これはあの曲の歌詞で歌われていた気がするとか、ゲームの必殺技に出てきたあのカタカナはそういう意味だったのかとか、仕事で横文字のまま使っていた用語は意外と日本語訳できないなとか、自分の日常と結びつけて考えるのも楽しい。

これを書きながら、良く知らない女性シンガーの洋楽をなんともなしに聴いているのも珍しい。カッコつけたいからとか、どこかで聴いたメロディが気になったなんて理由で洋楽を聴いていた時間はこれまでにもあったが、英語の発音を聴きたいからなんて理由で洋楽を聴いているのは、たぶんこの6日間より前にはなかっただろう。

 

英語の学習が純粋に楽しいだなんて、自分の変わりように笑ってしまう。

苦手なものや嫌いなものを克服するには、それ自体を目的にしない方がいいのかもしれない。その先にある目的のために必要なものとしてであれば、苦手でも嫌いでも、目的を叶える道のりとして楽しく乗りこなせることもあるようなのだ。

 

英語以外にも、私には苦手意識があるもの、嫌いだと思っていることがいくつかある。

それらもいつか、何かの夢や目標の道のりに現れた暁には、楽しいものであると再定義していきたい。